アジアオリンピック(第3回アジア大会東京)金メダリスト松王清志
第一章 生い立ち~関西大学卒業
Part.1 バドミントンとの出会い
episode 1 私は吉井川で遊んでいましたから生まれつき体が俊敏でした昭和10年に豊村浜で生まれ、豊尋常小学校卒業、西大寺中学校では野球をしていましたが、二年生の時に体操部の先生から、器械体操をやらんかと誘われて器械体操を始めました。先生は県下で優勝したこともある優秀な先生でした。
Part.2 西大寺高校へ進学して
episode 1 器械体操からバドミントンへ
西高のバドミントン部は二年上の先輩が創部されて部活動はしていましたが、校内には俗に言う“やーさん”と言われるような連中も多くいました。その生徒らは「ちょっとやらせ―」と言ってコートに下駄で上がって来て、遊んでいましたが、おおよそバドミントンと言うようなものではありませんでした。部員の中にも試合に行ったら他校の女性のラケットを持って帰る。それを可哀そうだからと私が返しに行く。これじゃいけないと荒れた状態のバドミントン部を大改革すると決意し、それからは凄い練習をしました。
episode 2 当時は当たりまえだった“うさぎ跳び”をしたりして、今ではやっちゃいけないような練習方法も当たりまえのようにしていました。芥子山までは毎日走りました。夜は自転車を体育館へ上げて四隅から後輩に自転車を踏ませて、その明かりで練習をしました。
episode 3 西大寺には鐘紡にバドミントンクラブがあり、工場対抗で全国大会をやっていたこともあり、鐘紡の指導者に教えてもらうことでより面白くなり、次第に強くなっていきました。努力の甲斐あって勝つほどにより面白くなってきました。強くなるにつれてみんなが言うことを聞くようになっていきました。
episode 4 2年生の最後の県大会で優勝したら、学校では何かと取り上げてくれるようになり、部員も増えていきました。3年の時には県下で断然強くなり、ダブルス、シングルス共に優勝するようになっていました。それまではそんな有様で評判があまりいい部ではありませんでしたが、何度か優勝したおかげで、校長先生も見直してくださり、いくつもの大会で優勝するにつれ、微々たる部費や旅費が次第に増えていき、3年生の時には野球部に次いで多くなっていました。
episode 5 新潟インターハイの帰りに東京へ一泊することになりました。先生は映画が好きで、そのころ流行っていた“ローマの休日”を見に行こうということになりました。私は高校生になるまで映画を見たことがありませんで、人生で最初に見たのが“ローマの休日”でした。数年してこの映画を彷彿させるような出来事になるとは、このころは思ってもいませんでした。