アジアオリンピック(第3回アジア大会東京)金メダリスト松王清志
Part.4 スカウト合戦
episode 1 西大寺高校の松王の名がバドミントン界に知られてきました。それからが大変でした。今で言うスカウト合戦でした。関西の大学の殆どが西大寺の浜の家に来られました。中でも関大の主将多田康明さんが非常に熱心に入部を求められ、又関大のユニフォームが赤い紐を結んだ憧れのスタイルであったこともあり、関西大学バドミントン部を選びました。
episode 2 私の父親は1945年にビルマで戦病死しています。母親一人で育てられ、又苦労をさせているので、卒業後は就職又は指先が非常に起用だったので指物大工になりたいと思っていました。担任の先生クラスメイト、母親又私自身卒業二か月前までは、大学進学なんて思ってもいませんでした。しかし、母が「自分の人生だ、自分の信じる道を自分が責任を持てるなら進んではどうだ。母にはまだ若い自分の息子のために働くことが生き甲斐だからと心から賛成してくれました。
episode 3 そんなこともあり回転焼きを焼いているおふくろのところへ、関大、立命、同志社など多くの大学から「松王をくれ」とスカウトの方々が来てくれました。私は勉強もしていないし、将来は指物大工になろうと思っていたのですが、急遽大学へ行かせてほしいと、金もないのにおふくろを口説きました。親父はおらずお袋一人だけでしたが、お袋はああゆう性格でしたから、「私が回転焼きを焼いて頑張るから大学へ行きなさい」とゆうことになりました。「よし、自分の信じる道を自己の責任で歩いてみよう」ここで180度の転回をして関西大学バドン人トン部に入ることを決めました。関大に進学した理由はキャプテンのユニフォームを気に入ったからです。真っ白なユニフォームに赤いリボンを結んでいました。そのキャプテンがハンサムだったのでどうしても関大に行きたくなりました。
episode 4 進学を決めたものの、一番心配していた入学試験はどうするのかの話になり、多田キャプテンは絶対に大丈夫だからと言われました。マネージャーが付け加えて「試験場に入ったら名前と受験番号は絶対に書き忘れないように、安心しなさい絶対に入れてあげるから」と言うことでした。受験の当日には試験場へマネージャーが入ってきて、私のそばに来て「松王、ちゃんと名前と受験番号は書いたか」と言われました。先生がいるにもかかわらずです。当時の体育部は学内で強かったのでしょう。その中でも関大の体育部は特に強かったと聞いています。
episode 5 卒業式で恩師からのはなむけの言葉をいただく
ご卒業バドミントンに於ける度々の優勝の輝かしい体験をこれからの人生の指針とし活躍してください。高校生スポーツマンの典型としての君の行動態度には敬服していた。スポーツマンを一人でも多くを目標に私も努力してみたいと思っています。進学の暁にも今まで通り頑張ってください。バドミントンの松王の君が全国にして渡るのを楽しみにしています。 西大寺高校西校舎体育館研究室 小林亀太
“努力”こそ人生開拓の最大の秘策である。
1954年3月の卒業にあたり、この小林先生にいただいた“努力”のこれが今日までの私の人生のベースになっています。