アジアオリンピック(第3回アジア大会東京)金メダリスト松王清志
第三章 大阪合繊延縄株式会社に就職
Part.9 東南アジア武者修行の旅 パキスタン シャルコット
episode 1
この旅の最後の目的地はパキスタンのシャルコットでした。シャルコットはラケット生産発祥の地です。ラケットは一枚の板に錐で穴を開けるところから始まります。
episode 2
ラホールから北方面に進むこと4時間、草原の中を車は100キロから110キロのフルスピードでぶっ飛ばしています。途中で一週間に1度しか通らない汽車に運良く?かどうか分かりませんでしたが遭遇しました。突然ドライバーはこれと競争するのだとメーターをぐんぐん上げます。小鳥やカラスが車のフロントガラスにガンガン当たって、赤い血が弾けていきました。広大な無人の草原を、汽車と車とキャラバンのラクダと三つの異なった異物が同じように西に向かって進んで行くのです。
episode 3
日本人がシャルコットの地を踏んだのは、おそらく私が初めてではないでしょうか。東方の日出る国、黄金輝く素晴らしい国、日本からジャパニーズ来る。町中に“噂”は拡がり、私の後を人がゾロゾロと付いてくる。絶対的な支配権を持つボスと一緒に42度にもなり、焼けつくような街を歩いています。
episode 4
前にも書きましたがシャルコットは世界で最初にラケットの生産が始まった街です。スポーツ界ではハイクラスのスポーツに入るバドミントンやテニス等のラケットがこのような街で生まれたのかと私は頭を捻りました。日本を離れて2か月、危険と冒険の連続でやっとたどり着いた憧れのシャルコットが、このようにみすぼらしい街とは想像もしてなかただけに・・・
episode 5
世界のスポーツファンを沸かすデビスカップ、トーマスカップのラケットはここから生まれたのであり、ローマ大会で優勝したパキスタン、ホッケーゲームのスティックもここからの製品だとボスは言葉を続けました。そう言われてみれば、このミスボラシイ雑然としている街にも何となく、どっしりとした伝導的な感じが湧いてきました。
episode 6
ボスは10,000キロ離れた同朋に、アジアのためにパーティーを開催してくれました。しかし、連戦の疲れとモーレツに辛くて油っこい食物で、私は下痢に悩まされ続けていました。むせかえる夜と下痢でトイレに走る回数は増えるばかり、ついにメイドインジャパンのペーパーを使い果たし、私は一時的に回教徒にならざるを得ませんでした。右手に水瓶を持ち、生まれて初めて左手が私のオヒップを水で一緒に流したのです。ウースマン氏曰く、「日本人はなんて不潔で不衛生なことをするのだろう。我々は聖なる水で流し石鹸で手を洗う」そういわれてみれば、何となく我がオヒップはスカッとする。しかし左手は気持ちが悪く、我が手ではないような気はします。
episode 7
私の父は第二次世界大戦でアメリカの空母に飛行機で玉砕をはかり、空母もろとも太平洋に沈んだと、ちょっぴりオーバーアクションで話したところ、私の話を気に入ったらしく、「ハラキリの出来る国民は日本人以外にない」と、思わぬことでビジネスに大成功しました。夕闇迫るシャルコットの街を、ボス以下多くの街の人たちに送られながら再びカラチに向かいました。いつの間に作ったのか日の丸の旗を振ってくれた子供たちの笑顔がたまらなく嬉しかった。
Part.10 東南アジア武者修行の旅を終えて
episode 1
体験が教えてくれたバドミントンの神髄
出発前の豊富めいた目的“何でも見て何でもしてやろう”計画の総てを満たすとは出来なかったけれども、バドミントンのメッカでその神髄をこの目で見、腕で取ってきたことは確かだ。私は個人的には収穫はとても多く、大きなものがあり、そしてとても楽しい旅となりました。
episode 2
思えば12年前に「バドミントンとは新しくアメリカから渡ってきたスポーツで、ジュードーとレスリングをミックスした?男性的スポーツである」と友人に誘われて握った一本のラケットが、今こうして日本を飛び出して、そのメッカに乗り込んで、10,000キロという長い旅の中でバドミントンの神髄を知ったと言うプライドと共に限りなき喜びに浸っています。
episode 3
ジャングルを抜けて父の戦死した場所へ連れて行ってくれたビルマのバドミントンチャンピオン。先に出した私の手を何のためらいも無く握ってくれたタイ国のプリンセス。食を共にしたインドのサッカー選手ミスターウースマン、忘れられない人々ばかりです。東京からパキスタンまで、10,000キロに渡る道のりはすべてが“無”から出発した。私には長く遠い旅でした。しかしその困難の中で、時としてイバラの道だったとしても、人々の友情と好意の中の道を歩いたことに間違いありません。私の一生涯で決して忘れることの出来ない素晴らしい人々の好意でした。