『バトミントンで世界65か国を制覇した人生』を楽しみにしてくださった皆様。
しばらくぶりの更新となりました。ここからは折り返しです。連載は日々更新させて頂きます。
是非お読みください
アジアオリンピック(第3回アジア大会東京)金メダリスト松王清志
第三章 大阪合繊延縄株式会社に就職
Part.14 今では当たり前のトップ戦略を日本で初めて考え付く
episode 1 世界を廻ることでバドミントンの普及にも携わられたことが、人生で一番の幸せです。勿論、世界を廻るのは商売でバドミントンとテニスのガットを売りに行くのですが、後半はテニスのボリューム(売上高)が断然多くなっていきました。それはテニスの糸の方が太くて重いので値段が高いからです。
episode 2 私が世界を廻っていて“大阪合繊”という社名が世界で伝わりにくいことを感じていました。「大阪合繊ってなんや?」ということで、「社長こりゃあきませんで、大阪なんか付けとったら」と進言しました。当時の世界では“神戸”の方がよく知られていましたので、カタカナで“ゴーセン”に社名変更しようということになりました。ロゴは“GOOD!”と物事を讃えるときの拳の形がモティーフになり、親指から順に、情熱、躍動、決断、慎重、誠実をあらわしています。
episode 3 1973年にテニス界のグランドスラマー、ロッド・レーバー選手(オーストラリア)とゴーセンの宣伝・奨励の世界契約を結びました。テニスの神様と言われていたロッド・レーバーは4大大会優勝、2度のグランドスラムを達成しています。先の全豪オープンの女子決勝戦で大坂なおみが優勝したセンターコートは、ロッド・レーバーの名を冠した「ロッド・レーバー・アリーナ」と名付けられています。
episode 4 日本で初めて世界のトップ選手と契約したのは当社が最初で、トップ戦略が始まったのはそのころからです。1981年にはテニスのトッププロ、ジミー・コナーズ選手(アメリカ)、クリス・エバート・ロイド選手(アメリカ)とも、宣伝・奨励の世界契約を結びました。
episode 5 1991年には更に、全豪オープンと全仏オープンでそれぞれ大会2連覇を達成したジェームズ・スペンサー・"ジム"・クーリエ(アメリカ)や、1990年の全米オープン女子シングルス優勝者ガブリエラ・ベアトリス・サバティーニ(アルゼンチン)と使用契約を結ぶなど、ゴーセンは世界の一流選手と使用契約を結びました。契約の内容は、写真を使えますし、ガットも当社の製品を使います。
今だから言える、ここだけの話ですが、実はガットを本当に使っていたかどうかは、分からないままでしたが、実際にゴーゼンの“G”マークはラケットに書いてありました。(笑)
episode 6 その後も、自己最高ランキングはシングルス3位、ダブルス1位。ATPツアーでシングルス23勝、ダブルス16勝を挙げた。世界チャンピオンのヤニック・ノアとも契約しました。アフリカ系フランス人で、こいつは強かった。この時、当社として彼には凄い額の契約料をだしました。この時の記者会見には新聞社がいっぱい来ていました。
episode 7 有名選手に年間契約でお金を渡すとか、ガットに関するいろんなことは、私が業界で最初に遣りました。そうすることで世界の中でテニスとバドミントンの市場を取っていきました。その市場を取ると子供たちもゴーセンのガットを使うようになって、更に市場を広げてゆくことになりました。
episode 8 そのころ日本のラケットのトップメーカーはヨネックスでした。そのラケットのガットは当社の製品でした。カワサキラケットも日本で大きな市場を持っていましたが、そのカワサキラケットもゴーセンの糸を使っていました。そうするうちにゴーセンの会社が大きくなって、ガットだけではなくラケットも自社ブランドで遣ろうかということになりました。基本的にゴーセンはガット屋ですから、それがラケットをやるのは良くないのですが、そうゆう時代でもあり自然の成り行きでラケット市場に参入してゆきました。当然ヨネックスやカワサキラケットとはライバル関係になっていきます。