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【初詣特集】神社・お寺にお参りに行こう!

素戔嗚神社・飽浦稲荷宮(すさのおじんじゃ・あくらいなりぐう)

旧社格・村社

【拝殿】

摂社の稲荷宮と拝殿を共にする。稲荷宮のご祭神・倉稲魂命は、穀物の神、特に稲の精霊とされ、稲荷は稲生り(いねなり)の転化したものという。

【正面鳥居】

【末社】

【境内】

【地神碑】
県内に多く分布する「地神」当社にも末社群と共に祀られている。

【本殿(二社)】
本殿は分かれている

【ご利益は商売繁盛の神様】
素盞嗚神社としているが、地元では通称名の飽浦稲荷宮の方が親しまれている。かつては、『網引きする海女とか見らむ飽の浦の清き荒磯を見に来しわれを』と、飽浦の地は、『万葉集』巻7に詠まれている。平安時代末期、源平合戦の代、京を追われた平家は、児島の藤戸(現在の倉敷市藤戸町)に陣をはった。源氏方は対岸に陣をはったが、船が揃わなかった為に、平家を攻めあぐねていたという。しかし、源氏方の武将 佐々木 三郎盛綱は、一ヶ所だけ馬で対岸まで渡ることができるという海の道が在ることを、近くの漁師より教わった。そのお陰で彼等は先陣をきって馬で対岸へ渡り、 源氏方に大勝利を納めるきっかけをつくったという。(平家物語「藤戸の渡し」の段、この後 檀ノ浦 の合戦に至る。)後に、佐々木三郎盛綱は、その戦功として、将軍源頼朝から、児島全土と小豆島一帯に及ぶ広範囲な領地を賜わり、 以後、佐々木氏一族は、飽浦の地に居城(現在の高山城跡)を築き、地名にちなんで、氏名も『飽浦三郎』と名乗った。そして、この土豪、飽浦氏一族の守護神として奉斎した神が、素盞嗚神社に鎮座されている素盞嗚尊とされている。また、稲荷宮は、この後鎌倉時代末期の建武年間に、飽浦三郎の子孫である 飽浦三郎右衛門信胤が深く信仰した、山城国伏見(現在の京都市伏見区の伏見稲荷大社)から御霊を勧請し、飽浦の地に建立したと伝えられている。江戸中期から栄え、城下からも参詣者が多く訪れたという。江戸時代後期には、城下の東中島町で問屋業を営む商人が、商売繁盛を祈願して奉納した回船の絵馬が、往時を物語っている。江戸時代の書物『備陽記』によれば、『岡山京橋まで陸路十里、同じく船路二里八町、反別22町余り、家数49人数276、二端帆から三端帆までの船2、池9。神社は素盞嗚神社・稲荷神社があり、両社は同一境内にあり、本殿は別だが拝殿は両社共通の特異な建て方である。』と言う記述があり、この頃より現在のような建築様式であったとうかがえる。ご利益は他に、家内安全、交通安全、火災・災難除け、子孫繁栄(子宝安産)及び学業成就、芸能上達など、その他多彩である。

住所〒702-8013 岡山県岡山市南区飽浦1389
電話番号086-267-3317
アクセス両備バス・甲浦小学校前バス停から南(金甲山方面)へ約30m
駐車場

50台

御朱印あり

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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