アジアオリンピック(第3回アジア大会東京)金メダリスト松王清志
第三章 大阪合繊延縄株式会社に就職
Part.20 世界戦略は遂にダンロップに乗り込む
episode 1 私はアジア7か国の武者修行でスポーツマンの素晴らしさを知り、日本製のラケットとガットでバドミントン王国と勝負が出来たことは大きな自信となりました。そして、ゴーセンバドミントン部をつくり、世界にラケット用品の販売をすることになりました。東南アジアの次はヨーロッパ大陸へ進出しました。これはアジア以上に人種差別で、また言葉の面で苦労しました。当時イギリスのダンロップと言えばラケット用品では世界NO1でした。この会社に当社のガットを売り込みに行きました。
episode 2 ロンドン市内からタクシーで5ポンド(5,000円)ダンロップの会社に行くのですが会ってくれません。(1,080円―1ポンド)往復で10,000円。日本から2万キロです。時間と金をかけて来ているので、会わないで帰ることはできません。4日間通い詰めてやっと会いました。当社自慢のガットを見せました。既に東南アジアでは“HY-sheep”天然シープよりも良い、強い、安い、ということで私が付けたネーミングです。しばらく商談室から消えた彼が真っ赤な顔で帰ってきました。だから日本人は嫌いだ。君の持ってきたガットは当社のパテントに抵触する。類似品を作る日本人は我々の仲間ではないと追い出されました。
episode 3 パテントに抵触することなど全く知らなかった私はこの件を本社に知らせなければならないのですが、しかし、電話は出来ません。電話代は非常に高いですから、そんな金はありませんでした。速達の往復便を待つしかありませんが、10日間はかかります。その間に考え、思いついたのがガットの中に穴をあけ、中に油を入れるというアイデアです。その油が表面に滲み出て、天然ガットと同様の味を出してくれる。“シープの味”、“鋼の強さ”。HY-0-sheepがこの時生まれました。リスクに挑戦する精神から生まれたのだと思います。パテントの重要性、知的財産を守ることの重要性を知りました。OIL入りガットは世界のパテントを取得しました。
episode 4 1999年10月3日に世界のソニーを築かれました、ソニー創業者の盛田昭夫氏が死去されましたが、丁度日本の経済パワーが膨らんだ70年代~80年代以降、世界のソニー、松下、そして日本の商社がベンチャー企業として政界のマーケットを切り開いた時代です。スケールこそ全く違いますが、ガットの業界では、世界市場60%のシェアを取り“小さな世界企業”として日本経済新聞から表彰を受けました。北米、南米大陸、そしてアフリカ大陸と市場を開拓し続けました。
episode 5 九龍半島から香港島のビル群を眺めていると“SONY”の看板が目に入りました。私はその時に隣のビルに“GOSEN”の看板を立ててやると決意したものです。今振り返ってみて、少しは盛田さんに近づけたかなと思っています。